絵本の世界へドライブ

 昨年春、大好きな友人がお空の星になった。

 ソウルの延世大学歯学部ペリオインプラント科教授のセミナー受講をするため10年ほど前から夫と年二回、渡韓している。東京の先生が交渉して主催してくださる勉強会である。日本全国からソウルに集う。

 昨年春、コロナも落ち着き久しぶりの参加であった。

 九州組は仁川国際空港、羽田組は金浦空港。帰国の日はホテル近くでお粥を美味しいねって言いながら完食し、また秋に会おうね!と私達夫婦は横浜の友人と握手をしてそれぞれの空港へと別れた。彼の訃報を知ったのは翌々日の朝だった。この歳になれば大切な人との別れも経験している。それでもショックであった。私達夫婦より若い友人。診療に活かそうと大学での講義をキラキラしながら聴いていた友人。実習していた友人。その二日後にその命の火が消えることなど思いもしなかっただろう。しばらくは悲しく切なく夫婦で日常を送っていた。解決のつかない心の時、私は阿蘇へ行く。父が逝った時も、大学時代からの親友が逝った時も私は阿蘇へ行った。昔から独身時代から阿蘇へ行く。心が落ち着く。何故なんだろう。人の生き死になんて一生わからない壮大なテーマで悩んでいても少し心が軽くなる。

 会えなくなった人に会えた気がするのだ。

 きっと宇宙を感じるからなのではないかと思っていた。私のような俗にまみれている人間でも清らかになるのだ。そして強くなる。

 現在、阿蘇へ行ったら必ず訪れるところがある。葉祥明美術館。昭和のバブルよりも何年も前、小学校高学年の時、『詩とメルヘン』という雑誌に出会った。それに掲載されていた葉祥明の描く空、雲、海、星、山、花、木に心奪われた。それはそれは美しく、何時間も暇さえあれば眺めていた。そしていろんなことを空想していた(葉祥明が熊本出身であること阿蘇を想い、描いていたことを知るのはずいぶん後のこと)。いつからだろう、あんなに大好きな空想をしなくなったのは。大人になり自分も親となり阿蘇を訪れた時に美術館の存在を知った。時間外だったので入館は叶わなかった。しかし前を通りその建物や草原を見た瞬間、私は現実から離れ空想の世界へ入り込むことが出来た。その世界では誰にでも会える。父に会えたのだ。病気でも何でもない父が笑っている。過去でも未来でもない。私は信仰しているものもない。スピリチュアル的なものも信じていない。でも、私の自由な空想の世界は存在する。この秋空、また阿蘇へ行き、ソウルで別れた慎ちゃんと会ってこよう。

ふるやしき歯科
古屋敷 有子(2024年10月『熊本保険医新聞』掲載)