85歳、ハワイに行く
あれは、7年程前の朝6時頃のことでした。伯母からこんな電話がありました。「おはよう、今日は私の誕生日、85歳になったよ!」「まぁ!おめでとうございます。お元気で良かったです、今度お祝いをしましょうね」「ありがとう。ハワイに行きたいの。連れて行ってね」「ハワイ…?に行きたいの?」米寿のお祝いを親しい親戚とのお食事会と考えていた私は頭を抱えました。
そしてその時から、伯母と私の珍道中が始まりました。いえ、珍道中の準備が始まりました。伯母は私の父親の姉で、数年前に夫を亡くし、熊本市内の自宅に一人暮らしをしています。いつも明るく前向きで、私の大好きな人です。日常生活を問題なく過ごしているとはいえ、心臓病、高血圧症、糖尿病等々の持病があり、脚や腰にも不安を抱えています。それに長時間飛行機での移動やホテルでの食事に耐えられるのでしょうか。私には友人と気軽に出掛ける旅行と違い、高齢の伯母と海外旅行は、入念な準備とかなりの覚悟が必要に思えました。早速、かかりつけの内科の先生に相談してみますと、服薬状況、身体に負担をかけない食事や旅行の日程調整などの説明を受けましたが、担当の先生から「ご本人が、生きている間にどうしてもハワイに行きたいと仰っているから、まあ、頑張って、行ってらっしゃい」と意外にも励ましの言葉をもらい、是非ともこの旅行を実現したいものだと決心しました。
伯母のハワイへの情熱は特別なものがあり、近所に住む親戚が心配して「日本にもまだ行ったことがない素敵な場所は沢山あるし、近場の温泉旅館の方がハワイなんかより、ゆっくり出来ておばさまの口に合う美味しい料理があると思いますよ」と優しく忠告しても、「海外で、病気になったり骨折したりするとお金がかかるし、生きて帰れないかもよ」と呆れられても、その情熱が冷めることはありませんでした。
旅行会社に無理を言って、糖尿病食や車椅子、高齢者へのホスピタリティのあるホテルを探してもらい、暑すぎず、寒すぎない伯母がお出掛けするのに負担がなるべく掛からない季節を選び、出発の日を決めました。
飛行機の整備の都合で、出発が6時間も遅れるというハプニングが起こり出発前から不安を感じました。しかし伯母は、機内で配られたiPadを意外にも華麗に使いこなして映画やお笑いを楽しみ、機内食も完食し、私がウトウトしているとCAさんにトイレにエスコートしてもらい、スヤスヤと眠りにつきました。長時間の飛行機の旅も無事終了とホッとしている間もなく、現地の空港での入国審査は長い列。伯母は長旅で疲れた青い顔をしており、足が痛くて立っているのがやっとの様子。慌てて空港スタッフさんに車椅子を借りたいとお願いすると、早速手配して下さり、優しく手招きして、優先窓口から通して下さり無事に入国審査も終わりました。
ハワイ滞在中は、伯母のマイペースぶりに振り回されましたが、高齢者に優しいお国柄、ありがたいことに、どこに行っても車椅子を押すのを手伝って下さる人がいて、ドアを開けてお先にどうぞとウインクして下さる人がいました。異国の地でも人の心の温かさに触れることができ、素敵な旅になりました。伯母は、ハワイの太陽の光を浴びて少し日焼けし、Thank Youの英語が上手になり笑顔で帰国できました。
90歳を越えた伯母は今も元気で、「ハワイはとても楽しかったね。コロナも治まってきたから、今度はシンガポール辺りに行きたいね」と呑気なことを言っています。
さくら歯科
田村 尚子(2024年7月『熊本保険医新聞』掲載)