患者さんから話を聞くこと

 わたしは人の話を聞くのは好きなほうだと思う。しかしそれは傾聴とは違って、語られる話でその話の背景に色や温度、立体感がついて静止画や動画として描き出されて、そこに傍観者としてわたしも一緒に体感するのを楽しんでいる。友人や家族と話をしていて「もっと聞きたい!」と思うとつい次々に質問してしまい詰問、事情聴取や問診になりそうになる。

 興味がわいても親しき仲では我慢することを覚えた(つもり)。一方で、仕事のときには役立つこともある。診療時に「痛み」について尋ねるとき、患者さんが困っている場面の様子を映像化するため「どこが」「いつ」「どのような動作のときに」「どういった痛みが」「どれくらいの時間」「どれくらい強く」あって「生活上どんなことができなくて困っている」のか尋ねていく。それをもとに原因を予想し、必要な検査を組み立て、治療計画や効果判定に役立てることができる。しかし痛みは本人の感覚なので外から見えないし個人間で比較できない。痛そうにしていても「大丈夫」「痛くは無い」と語る人もいる。感じていないのか、感じていても表現できないのか、言いたくないのかもしれない。本人から語られないときには、外来の患者さんであればご家族やケアマネージャー、通所施設職員、訪問職員から、入院している患者さんだとリハビリセラピスト、看護師、薬剤師、社会福祉士、管理栄養士から患者さんの生活の様子を聞くことができる。

 多職種の関わりが進むと解像度の上がった患者さんの姿が出来上がる。痛みで困っている様子だけではなく、その人が大切にしていることや楽しみが垣間見え、それが病気や障害でうまくいかずに困っていること、諦めや喪失感、忍耐力なども見えてくる。痛みや病気や障害があっても毎日が充実していることだってある。家族との関係や、地域での様子、これまでの人生も描き出されてくることもある。とはいえ、決してすべてがわかった気にならないよう肝に銘じている。本人の口から語られることをまずは尊重したい。尋ねるたびに違う答えが返ってきたとしても、「今日のところはそういう答えなのだ」と受け止めたい。

 わたしが医師の資格を得て約30年近くの間に医療は患者さん中心になるように変化してきた。わたしの聞きたいこと・伝えたいことを一方的に聞いて伝えることしかできていなかった未熟な医師時代から、いまは多職種の同僚たちと協働で患者さんとその家族を中心にした医療や介護をしようと試みるようになってきた。患者さんのために一緒に働きわたしに大きな気づきをもたらしてくれる同僚たちに感謝している。

合志第一病院
今村 理恵(2023年7月『熊本保険医新聞』掲載)