人は幸せになるために生きている

 ウクライナの街が爆撃を受けていることを、世界中のニュースで見るたびに、深い混乱・大きな不安が押し寄せてきます。生きて行く希望さえ失ってしまいそうです。自分が生きているこの時代に、1年以上も終息せぬまま争いが続いているなんて誰が想像したでしょうか。大きな自然災害に見舞われても、人と人とが助け合い、分け合う姿は美しく、奪い合い、争う姿は醜くて、悲しいものです。
 祖母は、私が幼い頃「人は幸せになるために生きている」と気づかせてくれました。祖母は足が不自由で、ほとんど外出できませんでしたが、前向きな考えを、他人に伝えることが出来る人でした。そして、いつも私の話を笑顔で聞いてくれました。「今日どんな事があったの?」私が幼稚園から帰ると、決まって話しかけてくれました。私が転んで顔が泥だらけになった時に、隣にいた男の子が自分の上衣を脱いで、拭いてくれた事を話すと、「有り難いね。しっかりとお礼は言ったのかい、その子はきっと幸せになれるね」と言って笑顔で、手を合わせていました。
 私は、祖母の笑顔が見たくて、いつも『何か良いこと、感謝したこと』を祖母に話したくて話題を探しました。どうしても話題が見つからない日は、道端で健気に咲いている、名前もわからない野の花を描いて渡したりしたものです。「おお、金鳳花だね、可愛い花、とても上手く描けたね。もう初夏だね。季節の移り変わりが分かって嬉しい、ありがとう」と太陽の方を向いて手を合わせました。
 祖母は、身体が不自由でしたが、ご近所の方の手紙を代筆したり、他人のもめ事の相談に乗ったりして、自分の出来ることを真摯に行っていました。ご近所の方も、もちろん家族も祖母が生きていく手伝いを喜んでしていました。介護保険がない時代に自宅で生活することは容易ではありませんでしたが、祖母はいつも笑顔と感謝を忘れずに生きていたように思います。祖母と一緒の時は、時間がゆっくりと流れ、幸せを感じることが出来ました。
 「どんなに高価な服を着飾っても、白衣を着たマザーテレサには、敵わない」幸せの度合いは、必ずしも、物の豊かさではなく、心の豊かさが大きな割合を占めることは周知の通りです。米カリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー教授らの研究などによると、『生活水準などが同じでも幸福感がより高い人は、他者の利益を意識した行動に向かう傾向や、仕事の質・満足感・収入がより高く(収入は約2割増)、人間関係がより豊かで、しかも、負傷・疾病・死亡リスクがより低く、寿命が7・5年ほど長いことも分かっている』そうです。つまり幸せを他人より敏感に感じることが出来ると、他人の幸福に貢献出来る可能性が高く、収入も高く、長生きもできることになります。頭の良し悪しの一面を決める知能指数ではなく、心の知能指数を育てることを、祖母は教えてくれました。
 世界中で戦争や争いごとがなくなることはないかもしれませんが、他をうらやむことをやめ、自分の幸福に敏感になり、他人の幸福を願うことが出来れば、今よりも希望を持てる人生を、心豊かに生きることが出来ると思います。

さくら歯科
田村 尚子(2023年4月『熊本保険医新聞』掲載)