変化や違いを受け入れる

 コロナ禍ももう3年目。手指消毒液は様々な場所に置かれ、対人業務を行う場所には当たり前の様にビニールカーテンがぶら下がっている。この3年間はイノシシの如く突っ走り、そして未だに走らされ続けている。労力と同等の対価は得られないけれども、生き馬の目を抜くような変化を受け入れ、変わらないとやっていけなかった。
 “変わる〟で思い出すのは大学時代。私の母校は金沢医科大学で、大学時代の六年間を石川県で過ごした。生活はガラッと変わり、九州とは余りにも違う気候や生活習慣、味付けに戸惑いもした。冬のある日、余りの寒さに、「寒いどうしてこんなに寒い所に皆住めるの!?雪かき大変だし、毎年降るのに。うぅ~寒いよっ!!」逆ギレの如く言葉に出したら「熊本も毎年何個も何個も台風が来るのに大変やん?寒さは着込めば何とかなるけど、台風は災害やし、水害とかそっちの方が大変やと思うわぁ~」とやんわり返された。「…なるほど…」外から見ればそういう風に見えるのかとハッとさせられた。また関東と関西圏以外はほぼ各県1~2人ずつであった同級生達と、お正月は全国各地のお雑煮の話で盛り上がった。汁はお澄ましか、醤油か、白味噌か。具材はお餅だけなのか、昆布やら海老やら入るのか。お餅は焼くのか、煮るのか。あんこ入りのお餅をお雑煮に使う県もあるという。鏡餅の飾り一つ、しめ縄一つ違う。「お屠蘇好きなんだよね」と言ったら驚かれた。そして赤酒ではない。清酒で漬けたお屠蘇を初めて飲んだ。うん、これは好きな人少なかろう。
 そんな他愛もない話の数々から、「これが普通」と思っていた私のこれまでの日常は、友人達の日常と同じでは無いと知った。同じ日本でもこれだけ感覚が違う。私の日常も友人達の日常も異なるが、それぞれ真実なのである。それ故、「熊本好きねぇ」と呆れられていた私も、それ以降〝熊本推し〟を強く言わなくなった。他の県はどうなのか、他の人はどう考えているのか、まず知ってみたくなったのだ。また、逆に我が故郷の熊本は、熊本県民である自分は、外からどの様に見えているのかも知りたくなった。私には私の、他人には他人の各々異なる正解が存在する。お互いの背景を理解し違いを受容することは、むしろ無理にお揃いにするより面白いと知った。25年も前の話なのに今でも大雪のニュースを見る度、台風が近づいて来る度に、友人のあの言葉を思い出す。寒すぎて6年きっちりで帰ってきてしまったが、今度は雪が降らない冬を物足りなく感じている自分がいる。そして台風の多い熊本県に住む事も、発熱外来を作る事も、実家診療所を継ぐ事も、全て腹を括れば、コロナ禍に振り回されている七転八起の人生であっても、実は結構楽しいのである。

原口循環器科内科医院
松尾 知子(2022年11月『熊本保険医新聞』掲載)