父について、語らせてください
昨年11月、父が他界しました。父も保険医協会にお世話になっており、何かあるとその時に解決しなければ落ち着かない性格のため、他の機関に対するのと同様に協会事務局にも理解するまでしつこく連絡し、ご迷惑だったのでは?と思います。「こんなことですぐ電話したりして、変に思われたら私が恥ずかしいでしょう。勝手にしないで」と、いつも文句を言っていました。
クリニック内のことは他には一切任せずに全部父がしており、引き継ぎもできないまま亡くなったため途方に暮れていました。でも、生前に全てきちんと几帳面に整理し、まとめてありました。事務関係だけでなく、家族別の書類や、倉庫にあるストックの電球がそれぞれどこの物かまで、テプラシールを打って分類されていました。それまで面倒くさいと思っていた父の性格が、実は凄かったんだと初めて気付かされました。
その他にも父を通じて、介護保険についても勉強でき、在宅医療に携わる医師や看護師、介護士がいかにすばらしく頼りになるか、知ることもできました。最後の一週間は、父が好きだったクリニックの院長室にベッドを置き、医師として、娘として診療と介護ができ、コロナ禍にもかかわらず母と私の腕の中で父は息を引き取りました。寂しがり屋の父は家に帰ったことで安心していましたが、痛みが強く鎮静剤が切れると暴れることもありました。そんなとき、母に近くにいるようにと言い、母の言うことだけは素直に聞いていました。普段あれだけ母のことを(私のこともですが)、口うるさくて鬼のようだと他人には言っていたのに、何やかんや言って最終的には一番信頼していたんだなと思いました。最後に当てになるのは妻と娘ですので、日頃から大切にしておくことです(笑)
おとなしく、あまり人前に出たがらなかった父なので、最後だけでも語らせてください。恥ずかしいですが、いつもの呼び方で。
「偉大なる(と改めて気付かされた)パパちゃんへ」。照れ屋で、言葉で気持ちを伝えるのが下手で、引っ込み思案なので、周りと上手くやれているか心配です。水さえも通りにくくなっていたあなたを前に、無神経に飲み食いしていた私を見て、平然としながら陰では「いいなあ、俺も食べたいなあ」と話していたそうですね。通過障害もなくなり、好きなだけ食べたり飲んだりできていますか?野球が大好きで、来年は新庄が面白くするよと楽しみにしてたね。愛する巨人は、あなたが観ないから、昨年のクライマックスシリーズは散々でしたよ。私がゴルフで130叩いたと報告したら、「130も叩くのはおかしい。打ち方が悪い。俺が一緒に練習場に行って見てあげたかったんだけど」と、体重移動やバックスイングの話をしてくれたのが、ちゃんと話せた最後でした。相変わらず上達しませんが、あなたの代わりに先輩方にアドバイスをいただいて励みます。朝起きは苦手でしたが、毎朝六時半にはちゃんとクリニックの鍵を開けています。最後まであなたの心配の種だった、片付けができないことも少しずつ努力します。そして、亡くなる前日までオンライン研修会に参加するほど勉強家で、心から患者さん達に慕われていたあなたのことを誇りに思い、これからもがんばっていきます。
「パパちゃんが最後に一番信用できると言ってくれた、口うるさい鬼娘より」。
みわクリニック 秋月美和(2022年2月『熊本保険医新聞』掲載)