修業はつづくよどこまでも

 その女性は診察室に入ると「どうにもこうにも膝も腰も痛くて生きててもちっともいいことなんかなか」と語りだす。「痛いから眠れんし、座薬ばちょうだい。一番強かとじゃなからんと!」。かかりつけの整形外科にも通っていらっしゃるので、座薬はそちらで診察してもらって出してもらいましょうよ、と言ってしばらく押し問答が続く。高血圧やそのほか生活習慣病の治療と管理が当院での主たるものなので、血圧の値や眠剤の件でも問答が繰り返される。30日処方が限度の抗不安薬を服用していらっしゃるので、30日毎に同じ会話の繰り返しだ。ワンパターン。予定調和。今日も変わらずお元気だ、と実感する。
 ある日、訪問診療の帰り道で彼女を見かけた。電動カートを歩道に置き、道端の家庭菜園の中に腰かけて、ご友人とすっかり話し込んでいる。デイサービスなんて嫌い、たくさんの人と話すなんて気ばかり遣って楽しくなんてない、とおっしゃっていたが、自分の会いたいとき、話したいときに会いに行ける関係と手段があるのだから心配ないな、と安心した。
 新型コロナウイルス感染の流行により、押し問答は互いに自粛し、診察と処方は素早くなった。お元気に通院してくださっているので、猛暑の中、電動カートでの移動やご友人との逢瀬も我慢したり時間を工夫して、新しい生活様式で過ごしていらっしゃることだろう。
 診察室の中で得られる情報は、患者さんの生活の中のごくごくわずかな部分(症状・食事・運動・服薬管理・通所利用・日々の困りごと・家族の困りごと)に限られている。それでも通常の人間関係では知りえないデリケートな部分に触れるので、かなり立ち入ることもある。包括支援センターや介護事業所など多職種と連携し、その人を中心に、健やかな生活を送れるような見守りからお手伝いを組み立てていく一員として役割を果たしたいと思う。そんな中、自分の持つ偏見や思い込みに苦しめられることがある。患者さんや利用者さんを中心に考えているつもりが、いつのまにか自分自身の価値観や健康観の押し付けになりそうになり苦しむ。目の前のひとの思いや考え方、生き方を最大限尊重するのは、とても難しい。医学的見解との葛藤もだが、無意識に自分の固執しているものに気づかされて自分を醜く恥ずかしく感じることがある。そんな日は、「今日も修行だった」と自分の至らなさを慰め、「早く“マシな”人間になりたい」と妖怪人間ベムのような気持ち(古い!)で仕事を終える。
 日常診療のなかで医の倫理、臨床倫理の問題に遭遇することが増えている。人生の最終段階の医療、難治性疾患のひとの尊厳、新型コロナウイルス感染流行期の看取りについて…。
 これからも、ずーーーっと修行はつづくよどこまでも。

合志第一病院 今村理恵(2020年9月『熊本保険医新聞』掲載)