ベトナムのダイオキシントップ研究者と
交流・汚染地医療訪問
今年8月18日から24日までに参加したこの旅には「枯葉剤水俣病、カネミ油症の総合検証」という副題もありました。ダイオキシン被害のカネミ油症に取り組んでいる藤野糺医師が企画、長年ダイオキシン問題について発信している中村梧郎氏とともに、ベトナム戦争時に枯葉剤が散布された南部のホーチミン市・ベンチェ・クチを訪問しました。今回は、ベトナム政府の枯葉剤問題研究責任者だったレ・ケ・ソン博士との交流という画期的な機会を得ました。
ホーチミン市(旧サイゴン)は人口1300万人の大都市で、トヨタ車やホンダバイクの行列が街を埋め尽くし、近年、日本のODAで進められた地下鉄整備は未完成でした。街の開発はまだまだ進行中でした。
19日の交流会で、レ・ケ・ソン博士は戦争終結の1973年から20年間にわたって続いたアメリカからの経済封鎖は甚大で、その後の米国への枯葉剤被害救済要求が制限されたことを明かしました。しかし、2006年以降は米軍基地のダイオキシン汚染除去を米国に要求し実現させた実績を紹介。経緯を記した書籍は日本語にも訳されているそうです。
一方、ダイオキシンの健康被害の疫学調査・研究は壁にぶつかり、因果関係は未解明のままだと知りました。政府は人道的立場から枯葉剤被害者には月6000円の経済支援はじめ教育・リハビリ・社会復帰事業を行っている。一方米国は他国への被害補償は拒否し、自国帰還兵に対してはダイオキシンに関連する(原因ではない)健康被害への支援を行っている。帰還兵の子どもに奇形があってもDNA異常は証明されていないことは初耳でした。
日本の参加者からは、カネミ油症の歯牙欠損、水俣病小児胎児性患者の生活支援、ベトナムで農業による社会復帰支援や被害者発掘と地域リハビリ活動が報告されました。私は、ヒトのメチル水銀の胎芽期毒性を証明した疫学調査について報告しました。
20~21日は各地の公的・私的な枯葉剤被害者支援施設・医療機関(リハビリ)を見学しましたが、ケアの質は保たれているもののQOL支援は不十分な場面も見られました。
22日の夜はドクさん一家と夕食をともにしました。兄のベトさんは失ったけど家族を得て、今は高校1年生の二人の子供の大学進学を果たすために働き、健康不安はあるけど前向きに生きて、これからも枯葉剤と戦争について語り続けたいとの表明に心打たれました。
今回の訪問で、ダイオキシンの健康被害、奇形の因果関係証明に向けて、遺伝子かく乱を起こすエピジェネティクスという学問が必要だと学びました。レ・ケ・ソン博士からはベトナムでは情緒的な支援が不足している、今後も交流をとの意思表示がありました。
ベトナム戦争で使用されたダイオキシンのほとんどが日本で製造されていたこと、その残りが日本の官山に埋蔵されたこと、それを知らずに過ごして来たことのショックも。
暑さと年齢を心配しましたが、意外にも帰国後の熊本の方が暑いと認識した旅でした。
女性医師部会委員
板井 八重子