令和6年能登半島地震支援報告

 報告に先立ち、令和6年能登半島地震で犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表するとともに、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
  同災害に対し熊本県では、石川県からの要請に基づき、輪島市にある石川県能登北部保健福祉センター(以下能登北部保健所)に1月5日から26日の日程で災害時健康危機管理支援チーム(以下DHEAT: Disaster Health Emergency Assistance Teamの略)が派遣されました。各班、引継ぎも含め約1週間の日程で、合計4班の派遣でした。私自身は、第3班として1月15日から21日の日程で石川県入りしました。班の構成は、1班は医師1名、保健師3名、薬剤師1名、事務職2名という形でスタートしましたが、第3班は、災害後のフェーズの影響もあり医師1名、保健師2名、薬剤師1名、管理栄養士1名、事務職2名というチーム構成となりました。


災害時健康危機管理支援チームDHEAT

 DHEATとは、平成30年3月に制度化された大規模災害等の際に自治体が自治体を支援する仕組みです。大規模災害発生後の二次的な健康被害の最小化を目的として、被災都道府県等が担う急性期から慢性期までの「医療提供体制の再構築及び避難所等における保健予防活動と生活環境の確保」にかかる情報収集、分析評価、連絡調整等のマネジメント業務の支援が主な業務です。
 発災当初は、皆さんご存知のDMAT(Disaster Medical Assistance Team :災害派遣医療チーム)を中心に被災地に支援が入ります。DMATは発災直後から被災地における急性期の医体制の確立や広域搬送を含む病院の支援を行っていただきますが、最近では被災地の保健医療の需要の把握とその調整にも携わっていただいています。災害規模が大きければ、その後も被災地には保健師等を中心とした行政保健師による支援チーム、JMAT、DPAT をはじめとした様々な保健医療活動チームの支援が次々と加わります。避難所や在宅にいらっしゃる方々の保健活動の支援や、被災した医療機関をはじめ保健・医療の体制がある程度日常を取り戻すまで、支援チームの配備調整や支援に入ったチームから挙がってくる課題の解決に向けて関係機関との調整が被災地の行政には必要となります。そのために、保健医療福祉調整本部を立ち上げ、関係者と情報共有を行い、連携する場として保健医療福祉調整本部会議を開催しながら、需要と供給のバランスを取ることは、被災地保健所の大きな役割となります。


現地到着

 能登北部保健所は、輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の2市2町を所管する保健所です。本来、DHEATは保健所を中心に支援することが想定されていましたが、今回は能登北部保健所管内に5チームのDHEATが参集したため、被災状況や地理的条件等を考慮し、能登北部保健所および管内の各市町にそれぞれ1チームずつのDHEATが割り当てられ、熊本県は輪島市の保健医療福祉現地調整本部を請け負うことになりました。
 出発当日は、金沢市内に到着後、翌日からの食糧や灯油等の生活物資の調達後、石川県庁のDHEAT本部にご挨拶に伺い、夕方開催されるDHEAT連絡協議会を傍聴しながら、その時点における被災状況や対応状況の概要を把握しました。その後、班員と決起集会を兼ねた夕食を取ってその日は終わりました。
 翌日早朝に金沢市を出発し、輪島市に向かいました。震災による道路の被害や到着日に降り出した雪の影響もあり、金沢市から輪島市までの移動には、5時間ほどかかりました。目的の保健所到着後、2班から日常生活の注意や業務に関する引継ぎを受け、その日の昼に開催された輪島市保健医療調整会議に一緒に参加し、実際の活動概況を掴みました。会議後に関係者に挨拶している間に、暗くなる前の移動のために前の班は既に帰路についており、そこからは自分たちの班での活動が始まりました。開催予定の各種ミーティングや会議、翌日からの業務に向けた準備と最初は手探りでのスタートでした。


現状把握と情報共有

 一日の主な流れとして、朝は能登北部保健所と保健所支援のための滋賀県DHEAT、そして熊本県DHEATによるミーティングでスタートしました。その後、続いてDHEAT保健師を中心に避難所等の巡回のために派遣された保健師チームとのミーティングを行い、保健師チームを見送ります。その後も、その他の支援団体との予定調整、輪島市の統括保健師や管理栄養士等と管内の情報交換、その他団体の当日の行動予定や物資関連などの情報共有が続きます。また、合間には、前日の活動について、県庁への報告書作成もありました。
 午後からは対応者のみ、DHEAT、能登北部保健所、輪島市保健部門、DMAT、日赤、DPAT、地元医師会、歯科医師会、薬剤師会、基幹病院である輪島病院、その他の支援チームとともに輪島市保健医療福祉調整本部会議を輪島市役所内で開催運営し、避難所や医療機関等の現状や課題の情報共有、解決に向けた方向性の協議を行います。会議終了後も必要に応じ、関係者と個別に方向性等の調整に向け、更なる協議を行います。その中で、途中からはDHEAT、DMAT、日赤、医師会等で医療機関等により医療に特化した輪島市医療調整会議を部会として立ち上げ、日々の状況や方向性の確認も追加しました。更に夕方前には巡回活動を終えた保健師チームのミーティング、そして能登北部保健所とDHEATによるミーティングが続きます。ミーティングで情報共有や進捗の確認を行い、DHEATの保健師はその情報を基に翌日の巡回に向けた準備を行います。さらには夕方には、輪島市内支所とのウェブミーティング、その後は石川県庁と各保健所及び支援DHEATを繋いだWEBでの連絡会にて、情報共有をはかりました。また派遣期間の途中からは、週に2回の予定で石川県庁と支援者を中心とした保健師・栄養士のWEB連絡会も追加され、職種によるより細かな情報共有も始まりました。


情報共有でみえてきたこと

 保健師巡回に関しては、当初の輪島市街における支援チームは4チームであったため優先順位の高い避難所を中心とした巡回しかできませんでした。しかし継続的な追加支援の要請により期間中、最終的には11チームに増加し、地区別の避難所巡回ができるまでになりました。保健師チームが増加したため、在宅者に向けた訪問も少しずつ準備をはじめましたが、自宅生活が可能で避難と言えない者と非難が出来ずに自宅に留まっている者との振り分けや既に避難所にいることを把握できている者などを整理するなど、支援者が少しでも効率的に活動できるよう被災自治体の思いもあり、名簿の洗い出しに時間がかかる状況もありました。
 熊本県DHEAT第3班からは管理栄養士が同行したことは新たな体制でした。被災地では地理的、交通の状況から、当時、避難所等での食事は弁当等の配布はあっていませんでした。カップ麺やアルファ米は置いてあっても、高齢者を中心とした避難者には厳しい食事であり、実際には炊き出しボランティア頼りになっている感じは否めませんでした。また1月19日から始まったJDAT巡回の中で、高齢避難者における義歯の不所持等、新たな問題も見えてきました。そのため、巡回保健師チームと協働で特殊食や栄養に関するアセスメントを開始するとともに、石川県栄養士会を通じた特殊食品の巡回配送や状況把握の依頼を行ったほか、石川県庁にも管理栄養士等の支援に向けた派遣要請等を行いました。また、炊き出しに関して、衛生管理の徹底の必要があることから炊き出し関係者へ保健所との連携に関する啓発を行ったほか、輪島市の管理栄養士と連携し、自衛隊の炊き出し協力依頼に向けた調整等を行いました。
 輪島市保健医療福祉調整会議では、日々、見えてくる課題が変わりました。当初は、避難所におけるコロナやインフルエンザ、胃腸炎などの感染症の管理や検査対象の基準等について関係者で共通認識をはかったほか、当時はライフラインの整った環境での二次避難に向けた動きが始まっていた時期でもあり、高齢者施設の入所者の広域搬送についての情報共有が主でした。大方の搬送見込みが立つ一方で、そこに留まるという判断をする施設もあり、ライフラインの途絶した状況を考慮すると、その状況が破綻してしまう可能性も頭に残しておく必要がありました。また二次避難されない方の中には、そもそも車で4時間以上の移動に耐えられない状態の方が残るという状況も見えてきました。そのような状況下では介護のニーズが大きくなっており、支援の要請により先遣隊の派遣の予定がようやく少し見えてきました。ただ、二次避難に関しては、避難先での介護関連など本来は市町村が対応する業務に関する課題や地元の衰退にもつながりかねない新たな問題が少しずつ顕在化しそうな様子もありました。


現地の医療と行政職員の疲弊

 医療に関しては、支援チームによる巡回診療や災害処方箋による処方から地元で少しずつ診療再開に向かっている医療機関等での対応に返還できるよう、震災前から加療中の慢性疾患を中心に災害医療から通常診療対応に戻すための調整にも着手しました。まずは災害処方箋から保険診療処方箋対応へのスキーム作りと関係者への周知を行いました。ただ、震災により運転免許証はあっても車など移動手段がない方、公共交通機関も止まっている状況では受診の足がない方などの課題も見えてきました。また、医療機関においても、自施設やスタッフの被災状況に違いもあり診療再開への思いも様々で、リエゾンに入ったJMATチームと協議し、JMAT輪島支所を置いていただく方向で調整いただく予定というところまでしか進められませんでした。
 一方、避難所においては、様々な支援者の協力もあり、段ボールベッドをはじめとした環境整備が進められました。また、福祉避難所のすみ分け、子ども達のためのスペースが作られるようにもなってきましたので、支援者の協力を得ながら周知に向けて情報共有などを行いました。
 他にも、被災地の行政職員だけでなく対口支援として入った行政職員の中にも、疲弊の大きな職員がいる状況など、様々な課題を保健医療福祉調本部の室内、会議を通して共有し、次に出来ることを考えました。
 今回の震災では、産業医大を中心にJSPEEDを用いた職員の疲弊に対する支援システムも活用されていましたが、特に被災地でもある輪島市の職員に関しては、活用の余裕がない状況でした。地元に住む者として被災者でもあるため、十分な職員参集もままならない状況、支援者であふれる市役所庁舎には平時と比べただならぬ雰囲気の違いもあります。そのような中で急増した慣れない業務に追われる輪島市職員の疲弊は、短期的には気持ちの持ちようでどうにかなるかもしれませんが長期的に厳しい状況になることは目に見えています。熊本地震の経験者だからこそということで、総務部の課長様等と疲弊する職員対策について意見交換、助言等も行いました。


所感

 見えてくる課題が日々変わる中では、方向性を考える日々でした。ただ、能登半島地震は熊本地震とその後の展開が随分違う印象でした。熊本県で考えると、熊本市内は特に被害もなく天草半島で起こったというイメージでしょうか、地理的、土地柄的な条件も含め、ライフラインの復旧にも時間を要することは容易に想像できました。状況の把握そのものだけでなく課題が見えてもすぐに対応することが難しいという条件がいくつも重なっていたように思います。
 活動最終日には、熊本県DHEAT2班から私たちが受けた引継ぎ同様に4班に引継ぎを行い、輪島を後にしました。今回、私達は4班に引き継ぎが決まっていたため、目の前の課題をどう対応するのかに専念できる部分がありました。現地では、多方面においてまだまだ支援が必要な状況でしたが、いつか引く支援者にとって、引き際が一番難しいだろうなあと思いながら帰還の途につきました。


御船保健所
小山 宏美